弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり

〔『歎異抄』後序より(『真宗聖典』640頁)〕

本文

親鸞聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしこと
(『歎異抄』後序より)

試訳

親鸞聖人が常に仰せになることとして、「阿弥陀如来が、五劫という長い時間をかけてご思案になって発起してくださった「衆生を救いたい」というご本願をよくよく考えてみると、ただひとえに私親鸞一人を救わんがための願いであったのだなぁ。そうであれば、数え切れないほど多くの罪業をそなえた私のことを助けずにはおれないと思い立たれた阿弥陀如来のご本願の、どんなに かたじけないことであろうか。南無阿弥陀仏」とご述懐なさっておられたこと

所感

一人(いちにん)の自覚

「そくばくの業(数え切れないほど 多くの罪業)」をそなえた者。それは、親鸞聖人おひとりだけの話ではありません。すべての人間が、いのちあるもののすべてが、数え切れないほど多くの罪業を持って生きています。にもかかわらず阿弥陀如来は生きとし生けるものすべてを「救いたい」と願われました。阿弥陀如来の本願は、生きとし生けるものすべてのためにあります。
ではなぜ、聖人は「弥陀の五劫思惟の願」が「親鸞一人がため」と言われたのでしょうか?
それは、聖人御自身が「そくばくの業をもちける身」であることを自覚されたからです。いのちあるもの、罪業を抱えながら生涯を歩まねばならないことは自明のことです。ですが、「阿弥陀如来の慈悲の光は、衆生のためにあります」と言ったとき、救われているという歓喜が先に立ち、「そくばくの業」を持っている身であるという自覚が疎かになってしまいます。
聖人は、仏道修行に励めば励むほど、自身の罪業性に落ち込み、涙し、救われるはずがない自身と向き合うこととなります。
そのような時、師法然上人に出遇い、念仏に出遇い、「南無阿弥陀仏」と申す身となりました。「そくばくの業をもちける身」である自覚を通して、そのような私を救おうと願われた阿弥陀如来の光明を感じ、「阿弥陀の慈悲は、このような私一人を救わんがためにあったのです」と、手が合わさりました。
「このような私ですら救われているのですから、私以外のみんなが救われていることは言うまでもありません」という想いが、「親鸞一人がためなりけり」には込められています。

「親鸞一人」の自覚は、浄土真宗のお勤め「正信偈(しょうしんげ)」にも表現されています。
「大悲無倦常照我(だいひむけんじょうしょうが)」
「阿弥陀如来の大悲は、倦(あ)くことなく、常に私を照らし続けています」と。
「倦くことなく」とは、そくばくの業をもちける私を「あきらめることなく」「見捨てることなく」という意味です。
そして、「常照衆」ではなくて「常照我」と著されています。「みんなを照らしています」ではなく、「私を照らしています」と。大悲に常に私が照らされていますという告白は、生きとし生けるものすべてが阿弥陀の慈悲の光明に包まれていることの確信なのです。

時(とき)の長さは、慈悲の深さ

さて、阿弥陀如来が思惟された「五劫」とは何でしょう?
「劫(こう)」とは、時の長さを表わします。どれくらいの長さかというと、一辺が40里(160キロメートル弱)の立方体の岩があったとします。そこに、100年に1度、天女が舞い降りてきて、天女の羽衣でその岩を撫でてゆきます。その摩擦で岩が磨り減り、岩が無くなってしまうまでの時間・・・それでもまだ足りないのが「劫」です。「五劫」とは、その五倍の長さです。想像もつかないほど長い時間ということです。
では、「五劫思惟」とは、阿弥陀如来がそんなに長い時間悩みに悩んで、衆生救済に踏み切ったという意味かというと、そうではありません。
すべてのいのちが「そくばくの業」をそなえ、悩み苦しみを抱えながら生きています。その、すべてのいのちの生涯を、いのちを全うする姿を、阿弥陀如来はご覧になられたのです。当然、ただ見るだけではありません。救いたいと思わせる「悲しみ」もあれば、いつまでも争いを続ける人間に対する「怒り」や「あきらめ」もあったことでしょう。しかし、倦くことなく、すべてのいのちの生涯を受けとめられたそのうえで、阿弥陀如来は衆生救済の願いを建てられました。
「五劫」とは「想像もつかないほど長い時間」ですが、人間の思議を超えた「阿弥陀如来の慈悲の深さ」を表わしています。

阿弥陀の大悲は、生きとし生けるに向けられています。
「親鸞一人がためなりけり」の「親鸞」を、あなたの名前に入れ替えて読んでみてください。
南無阿弥陀仏