生死の苦海ほとりなし

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

〔「高僧和讃(龍樹和讃)」(『真宗聖典』490頁)〕

試訳

わたしたちが沈み続け
もがき続けている人生の苦しみは
まるで海のように
広くて深くて果てしない
阿弥陀如来の慈悲のこころは
まるで海に浮かぶ船のよう
もがき続けるわたしたちと共にあり、
かならず浄土へと導いてくださいます

弥陀弘誓のふね

新型コロナウィルスの影響により、今までとは違う日常を強いられ、多くの人が苦しみのなかにいる。
そんな現在の状況に身を置いて、聖人のことばに向き合う。

「生死の苦海」で溺れている私。
私は、「弥陀弘誓のふね」に救出されることによって、人生という荒波を乗り越えられる。

そのように読んでいた。けれど、聖人が言いたかったことは、そういうことではない。
「弥陀弘誓のふね」を大きく揺さぶる「生死の苦海」。
その「生死の苦海」こそ、私の姿だった。

「生死の苦海」には、全生命が宿っている。私は、全生命と共にあり、だからこそ感情や行動が大きな波を起こしている。「弥陀弘誓のふね」は、その大波に抗うことなく、大波の揺れに合わせて航行を続けている。
「弥陀弘誓のふね」は、「生死の苦海」とともにある。

ウィルス

人間は、生物は、さまざまなウィルスとの共存によって生きている。ウィルスが生物の生存を脅かすのであれば、それには道理があるはずだ。その道理を見ようとしないで、都合の悪いものを悪者に位置付けて排除しようとするだけならば、人間は、大事なことを見落とす。
人間は、人類優先の発達発展のために未開の地を切り開いてきた。温暖化によって海洋の厚い氷が溶け始めてもいる。特定の地域に留まっていたウィルスや、氷の中に何万年も何千万年も閉じ込められてきたウィルスを、人類は自ら解き放った。
現在の状況は、起こり得ることとして警鐘を鳴らす人や団体もあった。また、今回の新型コロナウィルスが収束しても、10年くらいの周期で別のウィルスが蔓延するだろうとも言われている。
現在の状況を、為政者が「戦争状態」に例えている。「大変な状況にある」ということを言わんとしているのだろうが、為政者が言うことではない。
戦争状態と表現することによって、ウィルスを人類に対する敵と位置付けることになる。
医療現場や各自治体への支援の遅れ、布マスク2枚配布の背後にある不透明さ、国民に対して出し渋る給付金等々、批判を受けても仕方のない状況を自ら作り出している政府にとって、批判の矛先を変える仮想敵が必要となってくる。戦争状態にあると喧伝することで、国民の意識はウィルスに移り、その意識はやがて、休業要請に応じない店やマスクなど欲しい物が販売されていない店へと移る。非難されるべきでない人々が非難を受ける。懸命に生きる者どうしが、傷つけあう。
「戦争状態」にあると錯覚し、ウィルスという敵と戦っているという意識に陶酔し、攻撃の対象ではないものに攻撃を仕掛けている。ウィルス以上の脅威がある。今、人が他者(ひと)を傷つけていることを認識しているだろうか。

収束と終息

一刻も早い「収束」を願うことに変わりはない。けれど、今起きていることは、ウィルスが収まれば終わりという話ではない。
「しゅうそく」には、「収束」と「終息」とがある。
「収束」は、終わりに向かうこと。
だから、新型コロナウィルスの感染者や死亡者の数が減ってきて、医療従事者の負担が減ってきたときに、「収束に向かっています」と言える。
「終息」は、完全に終わること。
だから、新型コロナウィルスが消滅してはじめて「終息しました」と言える。
けれど、コロナウィルスの減少・消滅だけを見て「しゅうそく」を考えると、大事なことを見落とす。
新型コロナウィルスをきっかけに、人が他者を傷つけている現実。仮にウィルスが消滅して「終息」したとする。でもそのとき、本当にコロナウィルスが「終息」したと言えるのか、言っていいのか。
人と人とが傷つけあった傷は、歴史は残ったままだ。罹患者や医療従事者とその家族への差別。物の買い占め・転売。他者をののしる声は、発した人間は忘れても、言われた人の心には深く刻まれている。新型コロナウィルスの脅威ではなく、人間という生物の脅威が、今、強く表出している。
新型コロナウィルスが「収束」する日はきても、今、傷つけあっている人間関係が「収束」とともに修復されることはない。そのようなことを考えると、新型コロナウィルスが「終息」することはない。

生死の苦海

『「弥陀弘誓のふね」に救出される私 』という考えは、「生死の苦海」と私を切り離してしまう。私は「生死の苦海」そのものだった。その自覚によってはじめて「弥陀弘誓のふね」に気づく。
「弥陀弘誓のふね」は、「生死の苦海」とともにある。
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