無明長夜の灯炬なり

無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
 智眼(ちげん)くらしとかなしむな
 生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
 罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ 

〔「正像末和讃」(『真宗聖典』503頁)〕

試訳

人の世の悲しみにこころ痛めています。
けれど、出口の見えない暗闇だと立ち尽くすことはありません。
阿弥陀の慈悲の船・筏(いかだ)が私を乗せて、人の世の悲しみという大海を渡らせてくださいます。

所感

涙は、感情の表出。自分でも分からなかった自分が見えてくる。
我が身に何事も起らなければ、誰もが自分の気持ちさえ分からずに、真っ暗な無明の闇を生きている。闇の中にいることすら気づかないままに。
涙は、無明の闇を照らす、ほんの小さな灯(ともしび)。
一滴(ひとしずく)の涙が、今まで見えなかったものを照らし出す。
無明を歩いていた私のことを。
人の世の尽きせぬ悲しみを。
人の世の悲しみをすべて受け止め、救わんと誓われた阿弥陀の慈悲を。
南無阿弥陀仏