親鸞聖人のことば
『歎異抄』に描かれている親鸞聖人の言行録。ひとつ一つの言葉の解釈を要点にすると、「親鸞が言ってることは難しい、分からない」というところで立ち止まってしまいます。
『歎異抄』全体を通して読むと、親鸞聖人の言行の根っこには、「人は、無量 無数の縁をいただくなかで生まれ、生きている」という、お釈迦さまが説かれた「縁起の道理」があることに気づかされます。
“私”は、縁と縁とが織り成す模様の中の、ほんの一部にすぎません。“私”は、縁の中を生きている。決して中心ではないし、頂点でもないし、主役でもない。だけど、縁と縁とが織り成す模様のなかで、“私”を欠くことはできません。不思議です。縁は破綻しません。縁からはみ出る者はいません。個としてのいのちは終わっても、縁の中では誰も死にません。そんな不思議を、「阿弥陀」と言います。不思議を大切にするこころを「南無」と言います。
縁の模様のなかにある“私”を見つめられた人(親鸞聖人)が大切にされたことばが「南無阿弥陀仏」です。
親鸞聖人や蓮如上人(本願寺第8代)の教えについて綴っています。