仏の顔も三度

お釈迦さまがお生まれになった国カピラヴァスツは、隣国のコーサラ国に滅ぼされてしまいます。夏の灼熱の盛りだったといわれています。
お釈迦さまは、自分の生まれ故郷が滅ぼされそうになっていることを知り、駆けつけます。
コーサラ国からカピラヴァスツへと続く街道。その街道沿いに立つ枯れ木の下で、お釈迦さまは座されます。コーサラ国の兵の行く手を阻むかのように。

兵士の先頭に立つコーサラ国王は、お釈迦さまの姿を見つけ、声をかけます。
「世尊(お釈迦さま)よ、どうか日が当たらない森の中で座行をお続けください」
と、暗にその場から去ることをすすめます。
しかし、お釈迦さまは静かに応えます。
「コーサラ国王よ、枯れ木でも親族の木陰は涼しいものですよ」
その言葉を聞いた王は、兵と共にコーサラ国に引き返します。

お釈迦さまは故郷の滅亡を覚悟していました。
「枯れ木でも親族の木陰は涼しいものですよ」という言葉には、「枯れ木には、日陰を作り出すような繁った葉はありません。ありませんが、たとえどんなに枯れてしまった木であっても、たとえ亡くなった親族やかつて世話になった人びとが作り出す木陰であっても、その人びとの作り出す木陰は涼しいものですよ」という想いが込められています。暗に、コーサラ国王へも訴えています。

滅亡の時期(とき)が近づく故郷。たとえ滅びてしまっても、故郷・親族・縁をいただいた人びとが、私を守り育ててくださった大切なものであることに変わりはありません。それらの縁によって、今の私があるのですから。
コーサラ国王も、お釈迦さまの言葉の意味を汲み取ったからこそ、兵と共に引き返しました。

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その後、コーサラ国王は、カピラヴァスツ国に向けて2度目3度目の出兵をします。
2度目は、再びお釈迦さまと同じようなやりとりをしました。そして、また引き返します。
しかし3度目、最後の出兵の折り、お釈迦さまも故郷最期の因縁と覚悟を決め、兵の行く手を阻止することはしませんでした。
ついに、お釈迦さまの故郷カピラヴァスツは滅ぼされてしまいます。

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この、お釈迦さまとカーサラ国王のやり取りを由来として「仏の顔も三度」という諺となりました。
こんにち、「仏の顔も三度」というと、「どんなに優しい人でも、失礼なことをたびたびされると怒ること」というような意味で使われます。そのためか「仏の顔も三度“まで”」と思っている方も多いのではないでしょうか。
お釈迦さまは2度目の出兵までは許して、3度目に怒りを爆発させたわけではありません。カーサラ国3度目の出兵の折り、お釈迦さまがカーサラ国王に向かって「てめえら、これだけ言っても分からないのか!!」なんて喝破したというのなら「仏の顔も三度まで」ですが(^-^)

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お釈迦さまは、故郷滅亡が避けては通れないことと見通されていました。それ故に苦しみました。
「先のことが分かったらなぁ」なんて考えたことはありませんか? でも、先のことが分かったら きっとつまらないし、知った内容が哀しい出来事だったら平気でいられるでしょうか。私たちは、先のことが分からないから希望を持てるのかもしれません。
さとりを獲たお釈迦さまは、物事の道理をすべて分かっていました。コーサラ国王が、カピラヴァスツを滅亡させようと思うに至ったこころの動きも、我がことのように受け止めたことでしょう。だからこそ、お釈迦さまは悩み苦しみました。さとりを獲て、こころ穏やかに生きてゆけるのではありません。さとり、人の世の道理が分かるからこそ、より深い悩み苦しみを生きられました。

お釈迦さまの立場に立つと、「仏の顔も三度」とは、「避けられない事実に向き合いながら、悩み苦しみを抱えながら生きること」を説いている聞こえてきます。
また、コーサラ国王の立場に立ったならば、「仏の顔も三度」とは、「いかに仏さまの願いであっても(いかに尊敬する人からの懇願であっても)、自分の思いに嘘をつき続けるには限界があること」を説いているように聞こえてきます。
どちらも、悩み苦しみを抱えながら生きる姿が表わされています。こんにち使われる「どんなに優しい人でも、失礼なことをたびたびされると怒ること」というニュアンスとは、かなり違いますね。
誰の立場に立つか。どこの立場に立つか。ひとつの事柄に直面しても、立つ位置の違いで、物事はまるで違って見えます。
「仏の顔も三度」。あなたには、どのように聞こえてきますか?
南無阿弥陀仏