2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 現世利益和讃 ある日のお朝事、繰り読みの「和讃」は「現世利益和讃」(『真宗聖典』487頁)でした。 南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし 流転輪回のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ 南無阿弥陀仏をとなうれば 梵王帝釈帰敬す […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 生死の苦海ほとりなし 生死の苦海ほとりなしひさしくしずめるわれらをば弥陀弘誓のふねのみぞのせてかならずわたしける 〔「高僧和讃(龍樹和讃)」(『真宗聖典』490頁)〕 試訳 わたしたちが沈み続けもがき続けている人生の苦しみはまるで海のように広 […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 本願力にあいぬれば 本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし 〔「高僧和讃(天親和讃)」(『真宗聖典』490頁)〕 でっかいもの でっかいものを 作ろうとしてはじめて 知ったでっかいものを作る […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 仏法不思議 いつつの不思議をとくなかに 仏法不思議にしくぞなき 仏法不思議ということは 弥陀の弘誓(ぐぜい)になづけたり 〔「高僧和讃(曇鸞和讃)」(『真宗聖典』492頁)〕 試訳 五種の不思議(衆生多少不可思議・業力不可思議・竜力 […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 罪障功徳の体となる 罪障功徳(ざいしょう くどく)の体(たい)となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし さわりおおきに徳おおし 〔「高僧和讃(曇鸞和讃)」(『真宗聖典』493頁)〕 試訳 私のなかにある罪や障り(さわり)罪 […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 弘誓のちからをかぶらずは 弘誓のちからをかぶらずは いずれのときにか娑婆をいでん 仏恩ふかくおもいつつ つねに弥陀を念ずべし 娑婆永劫の苦をすてて 浄土無為を期すること 本師釈迦のちからなり 長時に慈恩を報ずべし 〔「高僧和讃(善導和讃)」(『真 […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 無明長夜の灯炬なり 無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり 智眼(ちげん)くらしとかなしむな 生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり 罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ 〔「正像末和讃」(『真宗聖典』503頁)〕 […]
2020年7月12日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 他力の信心うるひとを 他力の信心うるひとをうやまいおおきによろこべばすなわちわが親友(しんぬ)ぞと教主世尊はほめたまう 〔「正像末和讃」(『真宗聖典』505頁)〕 「阿弥陀さまの慈悲のこころを信じ、他力の信心を得る人を敬い多く慶ぶ人は、私の友 […]
2020年7月11日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 如来大悲の恩徳は 如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳もほねをくだきても謝すべし 〔「正像末和讃」(『真宗聖典』505頁)〕 このご和讃は「恩徳讃」と呼ばれ、つどいや法話会の閉式の際に唱和されます。 阿弥陀如来の大悲の恩徳 […]
2020年7月11日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 仏智うたがうつみふかし 仏智うたがうつみふかしこの心おもいしるならばくゆるこころをむねとして仏智の不思議をたのむべし 〔「仏智疑惑和讃」(『真宗聖典』507頁)〕 試訳 仏の智慧を疑うという罪は、とても深いものです。このような罪深い心を思い知っ […]
2020年7月11日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 小慈小悲もなき身にて 小慈小悲(しょうじしょうひ)もなき身にて 有情利益(うじょうりやく)はおもふまじ 如来の願船(がんせん)いまさずは 苦海(くかい)をいかでかわたるべき 〔「愚禿悲歎述懐和讃」(『真宗聖典』509頁)〕 悲しみのなかに […]
2020年7月11日 / 最終更新日 : 2020年7月12日 erikori 「和讃」 かなしきかなや道俗の かなしきかなや道俗(どうぞく)の良時吉日(りょうじ きちにち)えらばしめ天神地祇(てんじんじぎ)をあがめつつト占祭祀(ぼくせん さいし)つとめとす 〔「愚禿悲歎述懐和讃」(『真宗聖典』509頁)〕 試訳 今の世を生きる僧 […]