彼岸は、日々の生活の中にある
彼岸とは?
春分の日と秋分の日を中日(ちゅうにち)とした一週間を「彼岸(ひがん)」と言います。「彼岸」とは、阿弥陀如来の浄土。「西方(さいほう)浄土」と表現されるように、浄土は西にあるという思想が日本には強くあります。太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、日の沈む方向を見て、「あの方向に浄土があるんだ」「亡き人が往った浄土があるんだ」と、確認しているのでしょう。私たちが生活する娑婆世界である「此岸」から、阿弥陀如来の浄土である「彼岸」を臨み、手を合わせます。
さて、「彼岸」に対するそのようなイメージから、「彼岸」とは、亡くなった後に往く世界、亡くなった人が往った世界と思われている方も多いのではないでしょうか。だから、亡き人を想う気持ちが、「〇〇さん、お浄土でゆっくり休んでください」「〇〇さんは、お浄土で安らかにされているだろうか」という言葉となって出てくるのでしょう。“生(せい)の「此岸」と死の「彼岸」”、まるで生と死がハッキリ切り離されているかのように感じます。
仏教では「生死一如(しょうじ いちにょ)」を説きます。生と死は別々の事柄ではなく ひとつの事柄である、と。清沢満之(きよざわ・まんし)師は「我等は生死を併有するものなり」と説かれました。私たちは、生と死を併せ持つものである、と。死も含めての生であり、生まれたからこそ死と共にあるいのちを生きています。死は、忌み嫌われますが、生と死は、そもそも分けて考えることではありません。
“生の「此岸」と死の「彼岸」”という見方は、「生死」の分離を生んでしまいます。「生死一如」の教えをいただいているのですから、別の見方が生まれるのではないでしょうか。“生の世界である「此岸」と、亡くなってから往く世界である「彼岸」”という別々の見方ではなくて、「彼岸」あっての「此岸」であり、「彼岸」も含めての「此岸」であるという一如の見え方が。
残された者が、先に往かれた大切な人のことを慕(おも)いながらお墓参りをする。お彼岸の風景です。でも、ここまで書いてきた内容では「彼岸」とお墓参りは結びつかないですよね。さて、どうして春と秋のお墓参りのことを「彼岸」というのでしょう? 「彼岸」と呼ばれるからには、そこには何かお墓参りとは違った意味があるのではないでしょうか。
経教(きょう)という鏡
人間は、自分の経験値や思考の枠の中でしか物事を考えることができません。意識的か無意識化は別にして、人間は自分を絶対化して生きています。それゆえ、自分の考えが正しいという前提で身が動きます。自分が培ってきたものを根拠とした正しさを振りかざすとき、「自分は間違ってはいないだろうか?」「他に考えられることがあるのではないか?」という、自分を見つめる眼が抜け落ちてしまいがちです。
自分の姿は、鏡がなければ見ることができません。しかし、鏡を使って自分を見ても、お気に入りのところを重点的に見るし、気になるところは取り繕います。鏡の見方までも、自分を絶対化しています。自分の姿を見つめること、自分の姿に疑問を持つことは、“本当の”鏡がなければ難しいことです。
善導(ぜんどう)大師は、「経教(きょう)はこれを喩(たと)うるに鏡の如し」と教えてくださいました。お釈迦さまの説かれた教えは鏡である。お経を聞くこと読むことを通して、自分の姿が映し出され、知らされる、と。罪悪深重煩悩熾盛(ざいあくじんじゅう ぼんのうしじょう)、罪悪の心深く重く、煩悩燃え盛る我が身を知らされるのですから、見たくない姿、認めたくない姿です。
そのような自分の姿は、経教という本当の鏡を通して見えてきます。絶対無限なる阿弥陀如来の光明を蒙(こうむ)り、我が身が知らされます。
ひとつの大地
善導大師には「二河白道(にがびゃくどう)の譬(たと)え」という教えもあります。
(要約)
西に向かって歩く旅人の行く手を、火の河と水の河が阻(はば)みます。よく見ると、火の河と水の河の中間には、道幅わずか四五寸(12㎝~15㎝)ばかりの白い道が・・・。火の河と水の河の激しい勢いに旅人は立ち止まります。周りに人影はなく、頼る人もいません。そのような状況の旅人に、盗賊や獣たちが襲いかかろうとしています。
旅人は「引き返しても盗賊や獣たちに襲われてしまう。このまま留まっていても死んでしまう。水火の河を渡っても死んでしまう。いずれにしても死んでしまうのならば、西に向かってこの白道を歩もう」と決心します。
その瞬間、東の岸(此岸)よりお釈迦さまの勧(すす)める声がします。
「仁者(きみ)、決心してこの道を渡りなさい。死を逃れるであろう。もし止まれば、死を待つばかりである」と。
また、西の岸(彼岸)より阿弥陀如来の喚(よ)ぶ声がします。
「汝(なんじ)、決心してこちらへ参りなさい。私が汝を護(まも)ります。水火の河に堕ちることを畏(おそ)れることはありません」と。
決心して歩き出した旅人は、白道を渡り西の岸(彼岸)にたどり着きました。
(「二河白道の譬え」要約、以上)
先に『“生の「此岸」と死の「彼岸」”という見方は、「生死」の分離を生んでしまいます。』と書きましたが、「此岸」と「彼岸」は、白い道でつながっています。 いえ、白い道と火の河と水の河でつながっていました! つまり、「此岸」と「彼岸」は、ひとつづきの大地です。
私は、自分を写し出す鏡がなければ、自分のことを知る由もないし、自分の生きている世界を知ることもできません。経教が、私を映し出す鏡であるのと同じように、阿弥陀如来が「汝」と私に喚(よ)びかけてくる「彼岸」とは、「此岸」にいる私を写し出す鏡でした。
私を映し出す…たとえば、「火の河と水の河の激しい勢いに旅人は立ち止まります。周りに人影はなく、頼る人もいません」という描写。周りに誰もいない光景を想像していましたが、そうではないことに気がつきました。現実の私の生活、周りには多くの人がいます、多くの友がいます。決して誰もいないわけではありません。しかし、絶望の淵に立ったとき、本当に頼りとできる人、何でも相談できる人がいませんでした。頼りとなる人、相談できる人との出会いがなかったのではなく、そういう人を持とうとしなかった私であることに気付きました。
「彼岸」からの喚びかけによって「此岸」が照らし出されます。「彼岸」は、常に「此岸」を照射している鏡です。常に「生活の中にある私」に喚びかけています。
大切な人との別れを縁として教えに出会われた方も多いことと思います。教えに出会うことを通して、「彼岸」から私を喚ぶ声があることを知り、自分を見つめることができました。常に私を照らしている光(阿弥陀如来の慈悲心)がある。そのことに気づくご縁をくださった、先往く人。教えに出会い、讃嘆(さんだん)と懺悔(さんげ)の気持ちから、自ずと手が合わさります。日々の生活のなかに、南無阿弥陀仏を。