エピローグ

 出遇いとは、すべてが良いことばかりではありません。嫌な人との出遇いもあれば、「この人に巡りあえてよかった」と言い切れる出遇いもあることでしょう。人との出遇いばかりではありません。老いも、病も、死も、できることならば避けたいことです。しかし、老いや、病や、死を縁として、出遇える大切なことがあるものです。
 父母との別れ、迷いを抱えての叡山時代・叡山下山、流罪による師 法然との別れ、越後・関東での生活、晩年になっての息子善鸞の義絶・・・親鸞聖人も悩み苦しみの生涯を生きられた方でした。悩み苦しみを無くす法として念仏を見いだされたのではありません。悩み苦しみの人生だからこそ、この私を温かく抱きしめてくださる法として、南無阿弥陀仏の念仏を生涯大切にされました。
 「人生、私にとって都合の良いこともあれば悪いこともある。しかし、そのすべてが、私を私として成り立たせてくれる出遇いでした。そのことに気づかせてくれたのが、親鸞聖人であり、南無阿弥陀仏のお念仏でした」
 聖人の想いを受け、すべての出遇いを大切にし、南無阿弥陀仏と称えてきた人の歴史が今に通じています。たとえ時代や境遇や環境は違っても、南無阿弥陀仏のお念仏を称える私たちと一緒に、親鸞さまはおわします。