第6話 六角堂参籠(ろっかくどうさんろう)
範宴(親鸞)が、磯長で「余命十余年」という夢告を受けてから十年が経とうとしています。
いのち尽きるまでに衆生救済のさとりを得ようと修行をしてきた範宴でしたが、さとりを得られずにいました。範宴はあせります。
「私のいのちは間もなく尽きてしまう。吐く息吸う息の、一息一息が寿命だと仏陀は説かれたが、今まさにそれが実感できる。残された時間は少ない」
想いを成し遂げることができずに、いのちを終えていくことにあせりを感じ、修行にも迷いが生じます。範宴の頭の中を、さまざまな想いが駆け巡ります。
「私は何を悩み、何をあせっているのだ。いくら寿命が迫っているとはいえ、この比叡の山においてすることはひとつ。仏陀のおしえをいただき、その実践に努めるのみ」
衆生救済の願い
想いを成就したいという欲求
想いを成し遂げることができない焦り
いのち尽きることへの恐れ
誰もが認めるほどに、真摯に修行に励んできた範宴ですが、励めば励むほど、自らの想いに縛られていくことも感じていました。
29歳を迎えた範宴は、今まで歩んできた道を振り返り、今感じている自縛のこころを問い、これから歩むべき道を求めるために、洛中にある六角堂へ百日間参籠することを発願します。
六角堂は、聖徳太子の建立と伝えられています。