第9話 朋なる念仏
「阿弥陀如来は、私たち生きとし生けるものを救いたいと願いを起こされました。阿弥陀如来を信じ、「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。念仏申す衆生を、阿弥陀如来がお救いくださいます。南無阿弥陀仏」
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
民衆に交わり、源空(法然)上人のお話を聞き続けた範宴(親鸞)。いつしか、南無阿弥陀仏の響きに誘われ、源空門下に入ることを決意します。源空上人のもとで話を聞き続けている僧侶に間を取り持ってもらい、源空上人と直接に対面する機会を得ます。
「比叡の山で20年にわたり修行を続け、なにもさとりを得られなかった私などを、上人は弟子として迎え入れてくださるであろうか…」
源空のいる部屋へと向かうまで、範宴は緊張や不安で押しつぶされそうになります。
いよいよ源空のいる部屋へ入るときがきました。
「ようこそ いらっしゃいました」
範宴が挨拶するよりも先に、源空上人から声をかけてきました。
「あなたとは、比叡の山で一度お会いしたことがありますね」
源空と範宴は、まだ源空が比叡の山にいた頃に、一度場を同じくしたことがありました。範宴にとっては、その方を源空上人と認識することもありませんでしたが、源空は範宴のことを覚えていました。
まだ若かりし日の、修行を始めたばかりの未熟者を覚えてくださっていたばかりか、再会を喜んでくださる源空上人。「ようこそ いらっしゃいました」の響きは、範宴に「ここに居ていいんだ」という安心感と温もりを与えました。
「どうか 私範宴を門下にお加えください」
比叡の山での修行の日々、煩悩を晴らすどころか ますます己の恥ずべきこころが浮き彫りになってきたことを、範宴は涙ながらに吐露しました。
「範宴殿、お聞きなさい。私が高いところに立ち、声を挙げて、阿弥陀如来への信心を勧めているのならば、師と弟子という関係も出来よう。しかし私は、衆生救済のために立ち上がられた阿弥陀如来の慈悲のおこころを信じ、その教えをこんにちまでお伝えくださった先達のおこころを信じて、南無阿弥陀仏と念仏申しているだけなのです。弟子を募って、念仏を広めているのではありません。もしあなたが、この源空との出会いによって念仏を称える気持ちとなられたのであれば、朋として、喜びをもってあなたを迎え入れましょう。ともに、お念仏申してまいりましょう」
念仏の前では、師も弟子もなく、みな阿弥陀如来から救済の願いをかけられた朋である。源空上人からかけられた言葉に、範宴は、また涙します。比叡の山で20年間探し求めていたものが、ここにあるような気がしました。
範宴は源空から「綽空(しゃっくう)」の名をいただきました。「綽」は、中国の僧道綽禅師の「綽」、「空」は源空上人の「空」です。ともに、阿弥陀如来の慈悲のこころを信じ、念仏申した方です。範宴の姿に、源空は念仏の道を歩む者となるであろう予感を抱いたのかもしれません。