第5話 比叡の山での修行(2)
範宴(親鸞聖人)は、比叡の山で厳しい修行に努めました。しかし、入山から十年ほどの歳月が経ち、19歳を迎える頃になっても、衆生救済の道は見出せません。修行の方法が間違っているのか…救いの道を見出せず、範宴は悩みます。
観音菩薩の化身と伝えられる聖徳太子に、自分の悩みをぶつけるため、磯長(しなが)にある聖徳太子廟に参詣し、籠(こも)られました。
籠り始めて2日目の晩、範宴は夢を見ます。聖徳太子が夢に現われ、範宴に伝えます。
「あなたの寿命は、あと十年あまりです」
その衝撃的な夢に、範宴は目を覚まします。
「私の寿命は、あと十年…」
自分の寿命を告げられた範宴は驚きます。比叡の山に入ってからの十年、私は何をしてきただろう。残り十年という時間で、私は何が出来るのだろう。過去を悔い、未来を悩む範宴は、得度の際に慈円和尚の前で詠んだ歌を思い出していました。
明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは
「たった一夜の嵐で、美しく咲き誇っていた桜も、すべて散ってしまうこともあります。明日があると思っていても、その明日は、もう来ないかもしれません」
得度はまだ早いと諭す慈円和尚に、私はなんと大それたことを言ったものだ。それにも関わらず得度を認めてくださった慈円和尚。私は、得度を志したときの想いを持ち続けてきただろうか。慈円和尚に大言した決意は嘘だったのか。
比叡の山での十年を振り返りながら、救いの道を得られないことを、経文やお山のせいにして、自身のこころを問わずにいたことを恥じました。
比叡の山に戻ってからの範宴は、以前にも増して修行に励みました。その姿には鬼気迫るものがあり、もはや誰も批判する者はいません。真摯な求道の姿に、誰ともなく言い出しました。
「範宴の姿は、まるで源空上人のようだ」
「ゲンクウ! 皆が尊敬するその人は、どのような方なのだろう?」
こころの底に残っていた名が、会いたい人として範宴の脳裏に焼き付けられます。