第12話 念仏 出遇い(であい)の教え

「お上人さま」
 善信(親鸞)の呼びかけに、源空(法然)上人は応えます。
「善信よ、どうしました」
「お上人さまが幼い頃、ご両親を亡くされた話をお聞きしました。思い返すことも辛いことだと思いますが、どうしてもお尋ねいたしたく思います。お上人さまは、親の仇に対する恨みをどのように無くされたのでしょうか。どのような修行をなされて、安穏なるおこころを得られたのでしょうか。どうかお教えください」
「ふむ、私がどのようにして、親の仇に対する恨みを無くす境地に達したのか。そのことを聞きたいのですね。そのような境地があるのなら、私も達してみたいものです。それに、もしそのような境地に達せられる修行があるとして、私がその修行を成就させたのであれば、私は、あなたたちとは位の違う人間になってしまいますね」
「はい、それはお上人さまのことですから」
「善信よ、念仏が、極めることによって上位に辿り着くような教えであるならば、私は、あなたたちよりも上の、安穏なる境地に達しているのかもしれません。しかし、私が口にしている念仏も、あなたたちの念仏も、まったく同じものなのですよ。数を称えたから、懸命に称えたから、それに相応した境地に達するものではありません。阿弥陀の願いを誰もが受けているからこそ、このいのちを生き切ることができるのです。たとえどんなにつらく悲しいことがあっても、そのことを縁として生きていくのです。私は、親の仇に対する恨みを捨てきれずにいます」
 善信や共に聞いていた一同はどよめきます。
「いいですか、この事実は消せないのです。この事実から延びている道を、私は歩むしかないのです。つらいことです。つらいことですが、念仏の教えに出遇い、阿弥陀という伴走者がいることに気付かされました。両親を亡くしたが、私はひとりではないのです。そして、あなたたちにも出遇えました。念仏申す朋(とも)がいる。念仏の教えは、出遇いの教えなのでしょう。つらいことも、うれしいことも、すべて私のいのちとして生きていく。そのことを 念仏からお教えいただきました。ともに念仏申してください。私がお話できることがあるとすれば、それだけです」
 源空上人は笑顔で話されました。一同の口から念仏の声が聞こえます。何かを求めての念仏ではなく、自然と溢れ出た念仏の声が。

前の記事

第11話 闇を照らす光

次の記事

第13話 教えと人と場と