第21話 出遇いは再会 山伏弁円(べんねん)との出遇い

 越後から関東に移り住み、親鸞聖人は主に稲田の地で、念仏の教えを伝え始めました。
 稲田の地は、修験者による加持祈祷が盛んでした。雨乞いや祈願成就のため、修験者である山伏にお願いをして、加持祈祷してもらう。聖人の教え(ただ念仏申し、阿弥陀如来の救いにおまかせする)とは対極にあるものでした。
 はじめは聖人を不審がっていた稲田の民衆も、念仏の教えをもの静かに語る聖人に惹かれていきます。今まで、自分の願いを叶えるために加持祈祷を頼りとしてきた。しかし、あるがままを受け入れ、阿弥陀如来におまかせするという念仏の教えは、次第に民衆に浸透していきます。
 
 そのような状況を許しておけないのは山伏たちです。自分たちを頼りとしてきた民衆が、聖人の教えを頼りとしはじめたのですから。中でも山伏 弁円の怒りはすさまじいものでした。ついには、「親鸞を殺す」と、聖人が住む庵に乗り込んでいきました。
 弁円が自分に対して怒りを抱いていることを、聖人は伝え聞いていました。しかし、聖人は逃げませんでした。それどころか、血相を変えて庵に飛び込んできた弁円を
 「ようこそ いらっしゃいました」
 と、迎え入れたのです。聖人は、師法然と初めて会ったときに、「ようこそ いらっしゃいました」と迎え入れてもらったときのことを思い起こしていました。
 
 少しも臆することなく、それどころか懐かしい人に会うかのように自分に接する聖人に対し、弁円の殺意は失せ、弟子にしてほしいと懇願します。
 「念仏の教えの前では、師も弟子もありません。朋にお念仏申しましょう」
 自身が法然上人からかけられたことばが、自然と出てきました。弁円との出遇いを通して、今は亡きお上人さまにまた会えた気がします。この弁円との出遇いも、お念仏の教えのつながりの中で生まれたものなのですね。弁円とは、初めて会ったという気がしませんでした。
 昔からの知り合いのように迎え入れてくださった親鸞聖人。その聖人と共に念仏申す道を歩みだした弁円は、明法房と名のり、念仏の教えを説き広めていきました。