第14話 人は、笑顔の奥に、どんなに悲しいことがあったことでしょう

 源空(法然)上人の吉水の草庵には、多くの人々が集っていました。その中に、親鸞聖人の妻となる恵信尼(えしんに)さまもいました。恵信尼さまは、京都の貴族・三善 為教(みよし ためのり)の息女と言われています。
 源空上人の教え―苦悩を抱えて生きる衆生を、その苦悩のままに、阿弥陀如来はお救いくださいます―を聞き続けられた善信(親鸞)と恵信尼。ひたむきに教えを聞き続けられました。

 善信は、初めて源空上人の草庵に来た頃に比べ、顔つきが柔和になってきました。しかし、顔つきが柔和になられたのは、源空上人の教えによって、それまで抱えていた苦悩が無くなったからではありません。苦悩を抱えるには、苦悩を抱えるに至った縁があります。縁とは、良いことばかりではありません。私にとってつらいことも含めて縁なのです。いくつもの縁が重なり合って、今の私がある。そんな当たり前のことに目覚め、善信は初めて前を向いて歩き始めたのです。
 いつの頃からでしょう。そのような善信の変化に気付いた恵信尼さまは、源空上人からいただいた教えを語り伝える善信の姿を、頼りとされるようになりました。
 恵信尼さまは感じます。「この方の笑顔の奥には、どれだけの悲しみや葛藤があったことでしょう。この方をお救いくださった阿弥陀如来の誓願を、私も頼りとして生きてまいります。南無阿弥陀仏」

 親鸞聖人は、日本仏教史上初めて公に結婚した僧侶として言われています。当時の結婚は、夫が妻の家に入る形が主流でした。そして、想いが変われば他の女性の元へ行くことも、当時の慣わしとしては批判されるようなことはありませんでした。そのような時代のなか、聖人と恵信尼さまは、生涯を共にされます(晩年は別々に住まわれますが)。
 お互いに観音菩薩(慈悲の象徴)の生まれ変わりであると述懐されていることからも、おふたりにとって、お互いの存在の大切さが伝わって来ます。

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