第16話 承元の法難(じょうげんのほうなん)
源空(法然)上人の念仏宗に対する訴えが、いくら朝廷に出されようとも、仏教界における争いにすぎないと、朝廷は処罰を下すことはしませんでした。上人の教えに救いを感じる者が、朝廷にも多くいたのです。
ある晩、源空上人のお弟子である住蓮と安楽が念仏のつどいを催しました。つどいには、身分や性別を越えて多くの人々が集まりました。その中には、後鳥羽上皇に仕えていた女官もいました。後鳥羽上皇が紀州 熊野への行幸中、上皇に断わりもなく、念仏のつどいに参加したのでした。
念仏のつどいも終わり、皆が帰り始めたそのとき、女官は住蓮と安楽にお願いをします。
「南無阿弥陀仏のお念仏の教えこそ、私たちが救われる教えであります。どうか出家させてください」
女性の身分を知る住蓮と安楽は、その願いに戸惑います。しかし、女官の必死なまでの願いに応え、ついに出家の儀を執り行ったのです。
熊野から還幸した後鳥羽上皇は、女官の姿が見えないことに気づきました。女官が、源空上人の弟子の元で出家したことを知り激怒します。
今まで専修念仏の教えに対して罰を与えてこなかった朝廷も、ついに処分を下します。住蓮と安楽、他2名が死罪。出家者に対する死罪は、前代未聞のことでした。そして、住蓮と安楽の師である源空上人は土佐へ、親鸞聖人は越後へ、他6名が流罪となりました。この、源空門下への弾圧を「承元の法難」といいます。
師である源空との別れに、親鸞は涙します。
「お上人さま、私は、お上人さまと離れたくはありません」
「たとえどこに、どのような境遇に身を置こうとも、念仏を忘れてはなりません。念仏を称えることにおいて、阿弥陀如来の御前に、私たちはいつも一緒です。南無阿弥陀仏」
これほどの処罰が下されても、源空上人の口から念仏が途切れることはありませんでした。
源空上人75歳 親鸞聖人35歳
承元の法難が、源空と親鸞 今生の別れとなりました。