第10話 法然上人 こころの軌跡
「父上、ちちうえー!」
源空(法然)上人は自分の叫び声で目を覚まします。
「あぁ、また同じ夢を見たか…」
上人は、1133年、美作国(現、岡山県)に生まれます。幼名は勢至丸といいました。父、漆間時国(うるまのときくに)は押領使(荘園の管理者)を勤めていました。
勢至丸9歳のとき、土地を巡る抗争により、父は明石定明によって夜討ちを受け、殺されてしまいます。
臨終の際、父は息子に「敵を怨んではならない。復讐をすれば怨みは際限なく繰り返される。敵を怨むことを捨てて出家し、誰もが救われる道を求めよ」と遺言されました。
夜討ちで殺された者は、遺された者が敵討ちに生涯を費やすことが珍しくありません。明石定明にとっては、敵討ちの芽も摘んでおかねばなりません。定明は、勢至丸の母をも殺し、次は勢至丸のいのちを狙いました。
勢至丸は、今は何とか逃げ延び、将来 定明の首を狙うつもりでいました。しかし、母までもが、息子に出家の道に入ってほしいと遺言したのでした。
勢至丸は、母の弟でもあり、菩提寺の住職でもあった観覚にかくまわれます。仏道に入った者に手出しはできません。源空は、観覚のもとで仏道を歩み始めます。いつか父と母の敵討ちをするときが来ることを、こころのどこかで待ち望みながら…。
観覚のもとで経文を学ぶうち、「法句経」のことばに出遇います。
およそ怨み(うらみ)に報いるに怨みを以ってせば、ついに怨みの息む(やむ)ことはない
「仏教に帰依していた父上は、このおことばを大切にされていたに違いない。だから私に、復讐をするなと遺言されたのだろう」
父と母の仇を討ちたい。しかし、父も母も、私が仏道に入り、人々のために教えを説くことを望まれた。復讐のこころと、父に「復讐をするな」とまで言わしめた仏のことば…。上人のこころは揺れ動きます。
悩んだ上人は、比叡の山に入ることを決意します。叔父である観覚も、そのことをすすめました。
「この子は、父と母を殺され、耐え切れぬほどの苦しみを抱えて生きている。しかし、だからこそ、なにか大きなはたらきを感じられるに違いない。敵討ちをさせないためではない。その大きなはたらきに出遇うため、修行に専念するためにも、比叡の山に入るべきだ」
上人は13歳で比叡の山に入り、源光・皇円に師事し、修行に努めます。18歳で、比叡山西塔黒谷の別所に入り、叡空に師事します。叡空より法然房源空の名を与えられます。比叡の山で初めに師事した源光と、叡空からお名前をいただきました。
上人は膨大な量の経文を、五回繰り返し読まれたと言われています。「智慧第一の法然房」と讃えられましたが、上人の迷いが晴れることはありませんでした。上人は、自身を「愚痴の法然房」と称します。敵討ちの想いが捨てきれずにいる自分に、苦悩を抱いていたのです。