第2話 比叡山への道

 父は出家し、母とは死別したと伝えられる親鸞聖人。聖人と4人の弟たちは、伯父の日野範綱(のりつな)の屋敷で幼少期を過ごします。貴族とはいえ、自分たちの生活だけでも苦しい時代です。甥を五人も預かるほどの余裕もありません。ある日、範綱は妻に詰め寄られます。
 
「弟の子を5人も養うなんて、今のうちには無理な話です。うちの生活だけでも ままならないのに。先ずは長兄を出家させましょう」
「あの子はまだ9歳だぞ。そんなに幼くして出家など、させてもらえるはずもない。それに、家が落ちぶれたとはいえ、跡取りである長兄を出家させるなど、聞いたこともない」
「そのようなことは関係ありません。とにかく、みんな出家させますからね」
「って、お前。そんなに焦らなくても…」
 とはいえ、甥たちを出家でもさせなければ暮らしていけないのが実情でした。範綱は頭を抱えます。
 
 幼い親鸞は、もう一人の伯父 宗業(むねなり)に漢籍と今様を教わっていました。
「今日もありがとうございました」
「うむ、気をつけてお帰りなさい」
「はい」
 勉強を終え、宗業の屋敷を出る幼い親鸞の後姿を見ながら、宗業はつぶやきました。
「あの子には、人のこころの機微に触れる才能がある。もっと整った環境で、漢籍や今様を学ばせてあげたい。そのためには、出家し、比叡山に入ることが望ましいのだが。しかし、そのようなことを、兄の範綱や、本人が納得するだろうか…」
 
 当時、京の町には、戦乱や飢饉によって死に絶えた人々の亡骸が、いたるところに横たわっていました。その亡骸の着ているものやお供え物を奪って生きのびる者もいます。幼い親鸞は、宗業の屋敷からの帰り道、範綱の屋敷にまっすぐは帰らず、鴨川の河原に腰を下ろしました。
「目の前には苦しみながら死んでいった者や、亡き人から物を奪わなければ生きていけない者がたくさんいる。私は、伯父や伯母のおかげで、食べるものに困らないようにお育ていただいている。同じ人間に生まれてきたのに、なぜこんなに違う道を歩まなければならないのだろうか。どうして生まれてきたのだろう。どうしてこんなにも苦しみながら生きなければならないのだろう。あの、はるか向こうに見える比叡のお山に、その答があるのだろうか。その答が得られるのなら、行きたい。出家して、比叡のお山に入りたい。そんなことが許されるのだろうか。それに、もし許されたとしても、弟たちを置いていくことが心残りだ。弟たちは私のことを頼りにしている。兄の私が、勝手な思いで出家していいものだろうか。いや、つらい思いをする者がいると分かっていながらする出家に、どういう意味があるのだろうか。
 このままいつまでも伯父と伯母にお世話になるわけにはいかない。しかし、比叡のお山に入ることを許されるのだろうか。留まることも、進むこともできない。あぁ、どうしたらいいのだろう」
 幼い親鸞に、さまざまな想いが襲い掛かります。
 
 京の町を覆い包む時代の波が、幼い親鸞の将来に、一すじの道を開きつつあります。
 範綱、宗業、そして親鸞。三者三様、想いはそれぞれですが、幼い親鸞の足は、比叡の山に続いているのでした。

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