第18話 この身のままで
京の都より越後へ向かう舟。流罪となった親鸞聖人を乗せて、漁師は舟をこぎます。日本海の荒れ狂う海を、板子一枚にいのちを懸けて生きる人の姿がありました。流罪の地 越後では、過酷な環境の中、家族のために田畑を耕し、あるいは狩猟をしながら生きる人々がいました。
流罪を縁に、生か死か、日々ギリギリのところでいのちを懸けながら生きている人々との出遇いがありました。
人びとは、他のいのちをいただいている現実に、誰もが申し訳ない気持ちや不安や恐れを抱いていました。
「罪深い私たちは、死んだ後は地獄に堕ちるのだろう…」
懸命に生きているにも関わらず、それに報われるどころか、不安を抱えながら生きる越後の人々。親鸞聖人は人間が生きるということの現実を目の当たりにします。
「田畑を耕すことも、漁や狩りをすることも、誰かがしてくださらねば、人は生きてはいけぬもの。にもかかわらず、身を以て そのお仕事をして生きている人々は、これほどまでに苦しんでいるのか。そのことに、私はあまりに無知であった」
聖人は、己の無知無力を思い知らされます。しかし、念仏の停止と流罪が言い渡された後も、念仏を称え続けられた師 源空上人の姿を思い出します。平穏無事を期しての念仏ではなかった。誰もが阿弥陀の慈悲に包まれて生きている。その目覚めが、人に立脚地を与えるのであった。聖人は、越後の人々に念仏の教えを説きはじめました。
越後の人々は、聖人の説く念仏の教えにふれ、「阿弥陀如来は、この私を見捨ててはいなかった。不安を抱えるばかりの生き方であったけれど、この身のままで救いの手がのばされていたのだ」という真実に目覚めました。
念仏の教えに触れ、生きる力に目覚めた人々は、聖人からいただくお話を大切にされました。
師 源空上人と念仏に対する処罰は許せない。けれど、越後流罪という縁がなかったならば、この地の人々にどうやって念仏の教えをお伝えすることができたであろうか。この縁をいただけたのも、師 源空上人のご恩であります。と、親鸞聖人は述懐されています。