第20話 新たな地 関東への旅立ち
建暦2(1212)年1月25日、法然上人入滅の報(しら)せに接し、親鸞聖人は悲しみに暮れます。
流罪は赦されたものの、師法然上人を亡くした聖人は、これからの身の振り方を考え、悩みます。京の都に戻っても、お上人さまはおられない。このまま越後に留まるべきか、新しい地へ踏み出すべきか。
時は鎌倉時代。新しく開かれた鎌倉幕府には、多くの人々が集まり、政治・経済・文化が目まぐるしいほどの発展を遂げていました。
新たに大きく栄える時代や場所は、その流れから取り残されてしまう者や挫折する者も生み出してしまいます。越後の地で、自然の猛威の中で、家族のために日々いのちを削りながらも生き抜いている人々がいました。その人々に、法然上人の念仏の教えはしみ込んでいきました。まるで、砂漠に水がしみこむかのように。関東においても、師の教えを必要とする人がいるはず。その人のためにも、関東に行ってみたい。
かつて親鸞聖人は、師より『選択本願念仏集』の書写を許されました。師の著書の書写を許されるということは、その教えを伝えるに不足のないいただき(了解)をしているということの証でもあります。聖人は、師より書写を許されたときの感動を呼び起こし、越後で出遇った人々との交流を胸に、新たな地へ歩み始めることの必然性を感じ始めていました。
兄弟子である実信房蓮生より、師法然上人の教えを広めるべく、常陸国稲田郷への誘いを受けました。奇しくもその地には、親鸞聖人の妻、恵信尼さまの実家 三善家の所領もありました。
建保2(1214)年 聖人は家族と共に越後を後にし、関東へと旅立ちました。