第4話 比叡の山での修行(1)
9歳の春、慈円和尚のもとで出家得度をした範宴(親鸞聖人)は、いよいよ比叡の山への入山を果たします。
同じいのちを生きながら、生涯の内容は、人によってあまりにも違いすぎる。どうしてそれほどまでに違うのか。どうして苦しみのなかを生き続けねばならないのか。どうしたらその苦しみから救われるのか。その答を求めて入山した範宴の修行が始まります。
範宴の修行に対する姿勢は厳しく、教えに真摯に向かい合いました。その厳しさは、周りの者を寄せ付けないほどでした。周りの修行者たちは、批判や妬みの気持ちを込めて言います。
「範宴はあんなに厳しく修行・学問をしているが、源空殿にでもなるつもりか」と。
直接言われることはなくても、嫌悪の言葉というものは耳に入ってくるものです。何を言われようが、範宴は意に介しません。しかし、会ったことも話したこともない人物の名が、範宴のこころの底に残ります。
「ゲンクウ…」
範宴が比叡の山に入山したのは1181年。それに先立つ6年前、1175年に比叡の山を自ら下りた人物がいます。法然房源空です。
源空上人9歳のとき、父を敵からの夜討ちで亡くします。
父は、「敵を怨んではならない。復讐をすれば怨みは際限なく繰り返される。敵を怨むことを捨てて出家し、誰もが救われる道を求めよ」と遺言されます。
父の遺言に従い、13歳で比叡の山に入ります。誰もが救われる道を求めて修行に励むのですが、仇に対する怨みも捨てきれません。そのような矛盾に満ちた自分のこころを真正面から見つめ、源空上人は厳しい修行を重ねます。数え切れないほど多くの経典、一切経を五回も読み返したと言われています。人々は源空上人の姿に敬意を込めて呼びました。
「智慧第一の法然房」と。