卯毛羊毛のさきにいる
卯毛(うもう)羊毛(ようもう)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、
宿業(しゅくごう)にあらずということなしとしるべし
『歎異抄』第 13 条(真宗聖典➀633 頁/➁775 頁)〕
〔試訳〕
たとえウサギの毛やヒツジの毛の先にくっついている塵ほどの小さな罪やふるまいであっても、それらすべて、昔の行いと切り離して考えられるものなどありません。そのことを深く自覚するべきです。
ちりばかりもつくるつみ
私のふるまいは、どんなに小さな事柄であってもすべて宿業、昔からの因縁によるものである。親鸞聖人は、そのことを自覚せよと説かれます。
「私の身にくっついている塵ほどの罪や悲しみ。それらは、かつて私のなしたふるまいが因縁として巡ってきたものである」と。
そうは言われても、私の身に降りかかっている罪や悲しみが大きければ大きいほど、納得しがたい話でもあります。
かつて、聖人のこのことばを引用しながら因果応報として説教がなされていた時代がありました(現代も説教する人はいるのかもしれませんが)。「善いことも悪いことも自分のなしたことの報いが、今、私に届いているのです。報いとしての事実なのだから、今、私の身に起きている事柄はき
ちんと受け止め、生きていきなさい(そうすれば、これからは善いことが起こります)」というように。さて、このように語っている僧侶自身、果たして自分のこととして受け止めていたでしょうか。
昔からの因縁が、今、私に届いている
昔からの因縁が、今、私に届いていること自体は紛れもない事実であり、生きとし生けるものが今ある姿を言い表しています。しかし、「だから受け入れなければならない」「だから諦めなければならない」「だから次の生まれのために今は我慢しなければならない」ということを言わんとしているのではありません。
私の身に起こる事柄は、ウサギやヒツジの毛の先にくっついているホコリほど些細な事柄であっても昔からの因縁であるという事実を、聖人はよくよく考えられました。
「あらゆるいのち、あらゆる事柄、あらゆる事象が触れ合い、響き合い、影響し合っている。そのようななかであるからこそ私が誕生し、あなたもいる。そして、すべては、阿弥陀如来の光明に包まれてある」。そのような光景が、親鸞聖人の眼には広がっていたことでしょう。
さるべき業縁のもよおせば
「卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずということなしとしるべし」と綴られている『歎異抄』第 13 条には、
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」
という聖人のことばも出てきます。
「そうあるべき縁がもよおしたならば、いかなるふるまい、どのようなふるまいでもしてしまう私なのです」という意味です。
「もよおせば」の響きが、これから先に起こる事柄として受け止められがちです。
しかし、これから先のこととして聖人のことばを受け止めると、「私はまだしていない」「してはいけないことはしない」「悪いふるまいをしてしまうのは自制心のない人間だ」などと、反論・反抗の気持ちへとつながっていきます。
聖人が、これから先の出来事、未来の事柄として説かれたのであれば、「さるべき業縁のもよおさば」と言われているはずです。けれど、聖人は「もよおせば」と説かれます。このことは、もう既に我が身にもよおしていることを意味しています。つまり、今に至るまで触れ合い、響き合い、影響し合ってきた無数の縁のもよおしによって私があるということを「しるべし」と強く訴えているわけです。因果応報を説かれたわけでも、「諦めろ」「受け容れろ」と諭しているわけでもありません。
こんにちに至るまで生きてきて、「いつも、私が、思考・判断・決断してきた」かのように思っていますが、果たしてそうなのでしょうか。わずかな塵ほどの罪も、事柄も、私がなそうとしてできることではありません。「昔からの因縁が、今、私に届いている」。つらいことも、悲しいことも、厳しいこともあります。さまざまな縁の織りなすなかに私が私としています。その自覚あるとき、阿弥陀の光明に包まれてある私であることに手が合わさります。気付けば、南無阿弥陀仏と共にある私でした。もう既に我が身にもよおしている事実を、親鸞聖人から教えていただいています。
南無阿弥陀仏
ヒツジはいたの?
卯毛羊毛のさきにいるちりばかりもつくるつみの、
宿業にあらずということなしとしるべし
お寺の掲示板に聖人のこのことばを掲示したとき、准坊守(妻)から「親鸞聖人がいたとき、日本にヒツジはいたの?」との質問が。「え、そう言われると…」。なかなか面白い質問でした。
ちなみに、ウサギは食用とされていた歴史があり、鎌倉時代も武士たちが狩りをして食していたので、“ウサギ”は聖人も実際に目にされていたと思います(食べたこともあったかもしれません)。
ネット検索すると、『日本書紀』に「599 年、百済より羊二頭を献ず」と記されているとのこと。
それから何度も大陸から献上されています。ただ、日本の気候が合わないので、放牧されて繁殖していたわけではなさそうです。
とはいえ、親鸞聖人在世の頃、“ヒツジ”なるものがいることを知る人はいたようです。“ヒツジ”なる生き物がいることは知っていても、見たことはない…というのが実情だったのではないでしょうか。
(「羊」なるものを伝聞と想像でしか知り得なかったため、ヤギのことを羊と思い込んでいたという話もあります。ヤギを漢字で「山羊」と書くのは、そんな勘違いからきた…という説もあります。)
さて、“ヒツジ”という生き物がいることを知ってはいても見たことはなかったであろう親鸞聖人が、「細かいこと些細なこと」を言い表わそうとしたときにどうして「卯毛羊毛」と表現したのでしょうか。
もしかしたら、仏教の表現で(仏教語として)「細かいこと些細なこと」を表現するときに「卯毛羊毛」と言っていたのかもしれないと思って調べましたが、そのような用例・事例はありませんでした。
「どうしてだろう?」「なぜだろう?」と、問題を頭の片隅に置いているときは、思いがけない出会いがあるものです。小川洋子さんの文庫を読んでいるとき、次の文章に出逢いました。
羊は争いごとの苦手な生きものです。そんな羊が身を守るために神様から授けてもらったプレゼントはたった一つ、逃げ足です。相手を打ち負かして何かを横取りしたり、威張ったりすることに羊は興味がありません。たとえ弱虫と馬鹿にされたって気にしないのです。潔く、迷いなく、ひたすらに逃げる。これのどこが弱虫なのでしょうか。
〔『約束された移動』小川洋子(河出文庫)所収「黒子羊はどこへ」より〕
羊が神様から授けてもらったたった一つのプレゼント、逃げ足。争いを好まないことの象徴です。
思えば、ウサギにも戦闘のイメージはありません(あ、「ウサギと亀」があるか)。
塵ほどの「細かいこと些細なこと」を表すために「毛の先」をたとえに出すのであれば、「狼毛熊毛」であっても通じます。それに、オオカミやクマの方が、親鸞聖人にとってはヒツジよりも身近な生き物であったと思います(聖人はクマの皮でできた敷物に座ってもいます)。
オオカミやクマなど好戦的なイメージのある生き物(個人の感想ですね。すみません)ではなく、戦闘のイメージのない生き物を用いて「卯毛羊毛」と言われた。聖人は、ウサギやヒツジを、ニンゲンという生き物に重ね合わせて見ておられたのではないでしょうか。「昔の行いと切り離せない」ということは抗えないということです。抗えないとわかっていても、そこから逃げよう避けようと思い願うのが人間の姿。そのイメージを表現するならば、オオカミやクマよりも、ウサギやヒツジの方がしっくりくる(と思いませんか)。
人間の姿を凝視しているうちにウサギやヒツジの姿が重ね合わさった。オオカミやクマのような人にも出会ってきたけれど。
根拠のない話ではありますが、ことばひとつとって考えてみても世界は広がり、思考は深まっていきます。物語(ファンタジー)が創造され、私の人生と重ね合わさっていきます(教えが自分事として受け止められていきます)。
南無阿弥陀仏